プロフィール

初めまして。

当ブログの管理人、ragi(ラギ)と申します。

1958年大阪で生まれて以来、ずっと大阪在住の根っからの大阪人です。でもTVなどで紹介されているような、ヒョウ柄茶髪のパンチパーマが標準装備の「オオサカのおばちゃん」じゃないですよ。見かけはいたって普通の一般人です。

血液型はA型。几帳面そうに見えるらしいですが、中身は結構アバウトだったりします。

 

地元の高校を卒業後、銀行に就職して5年間勤務。その間に結婚もしました。

退職して子供が生まれてからは、専業主婦を20年くらいやっていました。

その間、子育てと並行して、病気がちな義父母、実家の父母の手術や入院など、病院と縁が切れない状態がずっと続いていました。大阪市内で有名な大病院には、誰かが1回は入院していますね。(自慢にならんわ…)

いつ、親から呼び出されるかわからない日常は、結構ストレスがたまります。

そんな不安から逃れたいという気持ちがあったのか、家事の合間の時間を工面して、手芸、洋裁、イラスト描きからTVゲームまで、ありとあらゆる趣味に没頭していました。

私のハンドルネームの「ragi」は、当時、熱中していたTVゲームのキャラの名前からとったものです。

 

そんなこんなで、ずっと専業主婦をしていましたが、45歳になった頃、思い切って近所のスーパーにパートに出ることにしました。1人娘はそろそろ高校を卒業だし、実家の両親、義母(義父は、すでに他界)の状態も、今は安定している。私の人生の新たなステージの始まりです。

 

仕事を始めて4年ほど。パート勤務が生活のリズムとして定着してきた頃、また事件が起こりました。実家の父が脳梗塞で倒れて、脳外科に救急搬送、緊急手術を受けたのです。

それをきっかけに、なぜか母も心労で入院、そのうえ、義母が股関節形成手術を受けるため入院と、一時期、親3人の入院が重なり、とんでもない目に遭いました。

でも、パートはそのまま続けてましたね。勤務時間が午前7時~12時だったので、午後の時間を、病院関係に充てることができたこと、それと、スーパーの勤務時間が1日3交代といったシフト制だったので、時間の融通が利きやすかったのも幸いでした。

 

家事、パート、親の病院通いという怒涛の生活が1年半ほど続き、最終的に、母、義母が老人ホームへ入所、父は、自宅で支援を受けながら1人暮らしという形で、我が家の老人問題は、一応の決着を見ました。

 

その頃の私は、心身ともにぼろぼろの状態で、今思えば、よく生きていたな~、という程くたびれ果てていました。そんな時、主人が「気分転換に、東京ディズニーシーに行ってみないか?」と提案してきたのです。

「あぁ、ディズニーね。子供が小さい時、でかけたよね。シーって、ランドの隣にできた2つ目のパークだっけ?」当時は、ディズニーに関しては、その程度の知識しかない私でした。

 

とんとん拍子で旅行計画が進み、3週間後に東京ディズニーリゾートへ出発!

10数年ぶりに訪れたディズニー。ランドの方は、以前、出かけた記憶があったので、とても懐かしい気持ちがしました。あちこち、新しくなっている場所もありマップを見ながら過去の記憶と比較して、驚くやら感心するやら。

そして、初めて訪れた東京ディズニーシー。エントランスの巨大な地球儀に迎えられ、ミラコスタ通りから望むメディテレーニアンハーバー、そしてプロメテウス火山の雄姿に、私はすっかり心を奪われてしまいました。

 

家に帰ってからは、みんなが、「ディズニーシー、よかったね。」「また行きたい! もっともっとシーのことを知りたい!」と大騒ぎに。そして、1か月後、またみんなで、シーへ出かけたんです。

それ以降、TDRへ出かける回数が徐々に増え、翌年には、シーの年間パスポートを購入。その翌年には、共通年間パスポートを購入して、TDRへ通う日々が始まりました。

 

パート、ディズニー通いと並行して、実家の父の支援や、老人施設に入所している、母、義母の、役所関係の管理などは、その後もずっと続いていました。

父母が同時入院している時は、ごみ屋敷と化していた実家の不用品整理(いわゆる、親片/おやかた)に奔走。義母が施設に入所した後に、住んでいた団地が建て替えられることになり、そちらも、不用品整理から家の明け渡しまでを、すべて1人でこなしました。

加えて、長年、行方不明だった主人の兄が自宅で孤独死し、そちらの住居の片づけや相続の手続き一切がっさいも、私が1人で背負いました。

主人は、兄が大嫌いだったので、身元確認をした後は「もう兄とは関わりたくない」と言い、遺品すらも受け取りを拒否しました。「兄弟は他人の始まり」って、本当の話だったんですね。

まぁ、そんなこんなで、親片や遺品整理には、かなり詳しくなりました。(もう、笑うしか・・・)

そうして得た、親の介護関連、親片のノウハウは、これから、記事にまとめて、ブログにUPしていきたいと思っています。

 

7年前に、義母が施設で他界。その後、実家暮らしの父も、91歳で、脊椎側弯症を発症して、歩行が困難になり、母、義母と同じ老人施設に入所しました。そして、2年半後に他界。

施設には、まだ母が残っています。入所してもう12年。今では、施設で、一番の古株になりました。我が家の老人介護問題は、まだまだ現在進行形です。

主婦業にパート、親の役所や銀行系の手続きがあれば即参上、まだ残っている実家の管理、そして、時々ディズニー。大阪のおばちゃんは、今日も元気に動き回っています。